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はじめに

 アカネズミ(Apedemus speciosus)は成体の体重が雄28−60g、雌26−59gの日本のネズミ類の中では中型のネズミである。アカネズミは分布範囲が広く、北海道から(別種に扱うこともある)屋久島まで分布している。この種は、平地から山岳地帯まで生息している。このApodemus属には、アカネズミの他にもう一種ヒメネズミ(Apodemus argenteus)がいる。標高の高いところではヒメネズミが優勢である(Doi T. and Iwamoto T. 1982)。両種とも尾が長く、頭胴長とほぼ等しい。また両種とも背面が赤茶色を帯び、腹部は白い。ヒメネズミはアカネズミと比較して小型である。アカネズミは、山林を主な住み場所としており、平地の田畑にはあまり多くない。しかし、山林でも森林が発達した場所はアカネズミよりもヒメネズミが優勢になる(Doi T. and Iwamoto T. 1982)。本研究を行った場所は、標高のあまり高くない落葉樹の二次林であり、ヒメネズミはほとんど見られず、アカネズミが大部分を占めているため、アカネズミのみを対象に研究を行った。
 ネズミ類は夜行性であるために、その生態を直接研究するのは難しい。したがって、その研究の多くは間接的な方法によるものになる。夜間の野外での直接の観察(Kondo T. 1977,1981)も見られるが(赤色光下での観察)、それは餌場を作り、そこに集まるネズミを観察するものであり、実際の個体間関係をどの程度示しているかは疑問である。ネズミ類の生態の間接的な研究は主に生け捕りワナによって行われてきた(Watts C.H.S. 1969; Kondo T. 1977,1981,1982; Gurnell J. 1978; Fairbairn D.J. 1976など)。その他の方法には足跡法(tracking method)(Justice K.E. 1961; Brown L.E. 1969; King C.M. and Edger R.L. 1977)や糞法(bate marking method)(Randolph R.E. 1973,1977)・ラジオアイソトープを使ったもの・発信器をネズミにつけてその電波を追うもの(テレメトリー)(Ostfeld R.S. 1986)などがある。ワナ法は、ネズミが掛かってから次の朝の見回りの時まで、ネズミをワナ内に閉じ込めてしまうため、1夜に1つの地点のみしかネズミの存在を知ることができない。しかし、ワナ法は個体の生長や繁殖状態を調べるためには有効な手段である。糞法は、ワナ法によって捕獲されたネズミに個体ごとに違った色の付いた物質(例えばいろいろな色に染めた鳥の羽など)を混ぜた餌を食べさせ、そのネズミを野外に放し、それが残していく糞を同定することにより、そのネズミの動く範囲を調べるものである(詳しくはRandolph R.E. 1977参照)。これは多くの地点を得ることができるが、個々の個体に違った色の物質が入った餌を食べさせるために、ワナによって捕まえたネズミを研究室に持ち帰る必要がある。このことはネズミに何らかの影響を与えると思われる。ラジオアイソトープによるネズミの行動の研究は、野外で放射性の物質を使用するため、限られた場所でしか使えない。また発信器をネズミに取り付けて、その電波を追うのは(テレメトリー)、その発信器の重さを軽くする必要があり、その開発は難しい。
 そこで本研究ではワナ法の欠点を補うために、King C.M. and Edger R.L.(1977)の足跡法(tracking method)を用いることにした。足跡法は、指切りによって個体識別されたネズミが紙の上に足跡を残すようにする方法である。この方法によって得られた足跡を個体識別することによってネズミの行動権を描くことができる。足跡法を用いると、1個体について1日に複数の地点が得られるため、1日ごとの行動圏が描ける。このことは日毎の行動圏の変化を見ることができることを意味する。ワナ法ではホームレンジの比較は月ごとであったが、足跡法によって日毎の比較ができるようになる。ワナ法では朝早くに見回らないといけないが、足跡法では時間は別に決まってなくてもよいので、研究努力に比較して多くの資料を得ることができる。
 しかしながら、足跡法を用いる場合、その場所の個体数が多いと足跡が多く付き、後で足跡を読む場合に混乱が起こる可能性がある。足跡法の場合、未標識個体を調べることができない。ワナ法で標識した個体が時間とともに減ってきて、個体識別をしていない個体が増えてくるとその場所でのネズミの生活の様子が分からなくなる。したがって、この方法は個体数の少ないときや個体の移動が少ないときにより有効である。またこの方法ではテレメトリーのように時間に伴いネズミの行動がどのように変化するか、行動圏をどのように利用しているかは判断することはできない。このような欠点があるが、足跡法はワナ法と比べてみると多くの有利性がある。
 ネズミ類の空間関係は記号放逐法やその他の方法で得られた資料を用いて描かれた行動圏をもとに分析されてきた。その結果、繁殖期と非繁殖期で行動圏の大きさや行動圏の分布の仕方が変化することが分かってきた(Brown L.E. 1969; Kondo T. 1977,1981,1982; Randolph S. E. 1977; Ostfeld R.S. 1986; Korn H. 1986など)。Apodemus属では雌が繁殖期に排他的な行動権を持つこと(Brown L.E. 1969 A.sylvaticusにおいて; Kondo 1981 A.speciosus において)、雄は雌が繁殖状態になると行動圏が大きくなり、その後空間関係が決定されると縮小すること(Randolph S.E. 1977 A.sylvaticus において)などが分かっている。Brown L.E.(1969)はA.sylvaticus が優位個体(雄)を中心にした集団またはsuper-familyで生活しており、優位個体はなわばり(6.4エーカー以上)をパトロールすること、他の個体は優位個体のなわばり内に大部分が留まることを報告している。
 本研究地では春の繁殖期が4月上旬に始まり、その前の様子が積雪のために調査できないため、春の繁殖期の始まりにおいてどのように空間関係が変化するのかは調査できない。また足跡法は1986年に本格的に始めたので、行動圏の変化の様子は1986年の秋の繁殖期の前と繁殖期の時とでアカネズミの空間利用がどのように変化するかを行動圏の変化をもとに見てゆくことにした。また春に生まれた個体は幼体・亜成体期に植物性のものの他に昆虫類を食物として利用しているので生長がよく、秋の繁殖期には繁殖状態になるので(立川賢一・村上興正 1976)、これらの個体の秋の繁殖期における定住個体との関係についても見ていきたい。

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