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白山連峰について

白山連峰の解説

白山の位置 白山は日本列島の最も西に位置する高山で、富士山、立山とともに、日本を代表する三名山の一つです。白山は雲におおわれていてなかなかその姿を下界に見せないことや、白山の雪を水源とする地方が多いことなどから、水の神としてあがめられ、古くから神の住む山として信仰の対象となっています。長良川や九頭竜川、手取川、庄川などが白山にその源をもっています。
 白山は養老元年(717年)に越前の僧泰澄によって開山され、その後信者や修行僧が登山を始めるようになりました。現在の登山道を一部は、昔禅定道と言われた旧道の一部です。
 白山の主峰は御前峰(2702m)で、大汝峰(2684m)や剣ヶ峰(2660m)の三山を中心に成り立っています。

 この地域は約1億4千万年前は現在の琵琶湖の10倍ほどの広さの湖で、「手取湖」と呼ばれていました。そこに火山活動によって地面が隆起し、白山ができてきたわけですが、火山活動は約8千万年前に起こりました。約10万年前には今の地獄谷付近に古白山火山ができ、大汝峰はそのなごりです。約1万年前に現在の山頂付近を中心として火山活動がおこり、新白山ができました。紺屋ヶ池付近はその時の火口です。現在白山は休火山ですが、約300年から400年ごとに噴火するとの記録があります。記録に残っている最後の噴火は1659年です。

白山の植生

白山御前峰の写真 御前峰からのご来光 加越国境から見た白山

 白山の植生の特徴としては、白山より西に高山帯を持つ山がないために、高山植物の多くが白山を日本の西限もしくは南限としていることです。このことから白山は植物地理学上重要な地域であると言えます。白山を西限とする植物には、ハイマツやチングルマ、ニッコウキスゲなど約50種あり、また他の高山帯から離れているため、高山植物にとっては厳しい環境であると言えます。
 植物帯を下から見ていくと、ブナ帯、ダケカンバ帯、アオモリトドマツ帯、ハイマツ帯に大きく分けられます。
 左の写真は室堂から見た白山御前峰の写真です。大学2年生の時の夏に撮った写真だと記憶していますが、確かではありません。写真のように頂上付近はほとんどがれ場で、植物らしいものはほとんど生えていない状態です。室堂から頂上までは40分ほどで登れます。室堂センターに泊まると毎朝天気がよい時には太鼓が鳴り、ご来光を見に行こうという気持ちにさせてくれます。真ん中の写真は御前峰より見たご来光の写真です。右の写真は加越国境の山から見た白山の写真です。

ブナ帯
標高約500m〜1500mの間で、白山では800m以下では伐採されている。ブナ帯は、ブナの他にヒノキ、クロベ、ミズナラなどの樹木が混じって生えています。背の低い植物としては、ネマガリダケやオオカメノキなどが林床に生えています。
ダケカンバ帯
標高900m〜2300mにわたっており、下部はブナ、上部はアオモリトドマツと混じり合っています。ダケカンバ帯は一時的なもので、本来の極相はアオモリトドマツを優占種とする植物帯です。
アオモリトドマツ帯
ダケカンバ帯の上部を占め、林床植物として、カニコウモリやゴゼンタチバナ、ショウジョウバカマ、キヌガサソウ、サンカヨウなどが生えている。亜高山帯になり、この地帯の日当たりがよく、雪解け水に潤った肥えた土壌には高茎草原と呼ばれる背の高い草本の生えた草原ができます。これは大雪や急斜面のために樹木が生えられないことによります。植物としては、ニッコウキスゲやシナノキンバイ、クルマユリ、オタカラコウ、ハクサンフウロ、シモツケソウ、ミヤマシシウド、イブキトラノオ、ハクサントリカブトなどで登山者の目を楽しませてくれます。
ハイマツ帯
標高は2300m以上で、ハイマツの中に混じってアオモリトドマツやハクサンシャクナゲなどの樹木が生えます。ハイマツ林の下には、クロマメノキやシラタマノキ、コケモモ、ゴゼンタチバナなどの植物が生えています。積雪の多いところには、ガンコウランやアオノツガザクラなどの非常に背の低い木本が生息しています。また雪解け水などで湿った土地では、ハクサンコザクラやミヤマキンバイ、クロユリ、コバイケイソウなどが生える湿性お花畑が見られます。

 それでは、白山の登山道とそこに生息する植物を紹介します。下の「白山の登山道とお花畑」をクリックしてみて下さい。

白山の登山道とお花畑

白山展望道 御前峰からみた室堂
白山展望道から室堂への登り 白山頂上から見た室堂平

白山の伝説

<開山と転法輪の岩屋>

 泰澄大師は養老元年初めて白山に登りました。山頂東側にある転法輪の岩屋で「なにとぞ、山頂にお祀りすべき神童のお姿を現して下さい」と一心に願行をかけていると、竜が現れました。泰澄は「本当のお姿ではないでしょう。どうか本当のお姿を」と祈ると、竜は美しい女神となりました。泰澄は「女人禁制の御山に女神のお姿はふさわしくありません。今一度お姿を変えさせ給え」と祈るとパッとあたりが輝き、十一面観音菩薩の姿になって現れたといいます。この十一面観音の木像が山頂に祀られています。なお大汝峰には阿弥陀如来が、別山には聖観音が祀られています。

<千蛇ヶ池と蛇塚>

 泰澄大師が初めて白山に登った頃は、大蛇がたくさんいて暴れ回り、ふもとの人々を悩ませ続けていました。その数は3000匹にも達したといいます。そこで大師は法力をもって大蛇を集め、三カ所に封じ込めました。まず年中雪をたたえる千蛇ヶ池です。1000匹の大蛇を入れ、雪でふたをしてしまいました。もし池が消えてはと、池の上に大石を置き、雪が消えると崩れ落ちるようにしました。この大石が御宝庫です。次に1000匹を福井県の刈込池に封じ込めました。この池は三ノ峰の下にありますが、蛇が出てこないように、三ノ峰の大岩に剣を立て、その影が池に映るようにしました。最後に最も凶暴な1000匹を観光新道にある蛇塚に埋めたといいます。

<御宝庫>

御宝庫の写真

 寛喜二年(1230年)は大雪の年で、白山山麓では7月になっても雪が消えず、大飢饉となりました。白山の神宮、ト部良暢は、御宝庫の前で断食し、3日間の祈願に入りました。やがて白衣の神人が現れ、御宝庫の岩をたたくと岩に少し割れ目ができました。その中は朱塗りの柱に青い石畳が敷き詰められ、目を奪うような美しさでした。その瞬間、一条の白い煙が立ち、山麓へ流れていきました。そのためでしょうか、この年山麓にはたくさんの竹の実が実って人々は餓死を免れたといいます。

<四塚>

 昔尾口村にたいそう猫好きの娘がいました。彼女は猫のとってきた魚を猫とともに一つの皿で食べ、猫とともに山野を跳び回り、老女になっても若者のように元気でした。ある日大蛇が現れて老女を襲いましたが、三匹の猫が勇ましく飛びかかりついにはひるんでいた老女もカマで大蛇を殺しました。その肉を食べた猫はその後狼と戦うほど荒くなりました。老女もいつの間にか猫そっくりの顔になり、手足にも毛が生えました。彼女は家を離れて山の洞穴に住むようになりましたが、終いには神通力を得て、雲をおこし、雨を呼び、空を飛べるようになりました。村に葬式があると必ず雨を降らせ、黒雲をおこらせて棺桶を奪いました。村人の頼みで越知山にいた浄定行者が4匹の猫を山から追い出し、二度と暴れないように北竜ヶ馬場の四塚に封じ込めたといいます。


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